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大学職員に転職するためのアドバイス

Home > ブログ > ■20:フラッシュバック (転職までを振り返る)

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転職、思い切り、次を決める

私は2回転職をしています。

いろいろ理由は跡付けしていますが、

1回目は営業がきつくて辞めたくなりました。

2回目は責任が重くて辞めたくなりました。

いろいろ後付してもっともらしいことを言っていますが
転職組は、基本、いやなことやあわないところが前の職場にあって
辞めてきているのだ、と思います。

だからといって簡単に辞めることのできる世の中ではありません。

少し前に、「大学はユニバーサル段階にはいった」
といったことがよく言われてました。

おおざっぱに言うと、いろんな属性の人が簡単に教育を受けることができる
時代がきたということです。

でも、社会はそれを許してくれてないと思います。

現に会社を辞めて大学院に再入学をしてしまっても、
戻ってこれる保障はありません。

転職には思い切りが必要だと思いますが、
やめる前に次を決めてから、辞めるほうが
空白が少なくていいと思います。

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(5)専門学校での仕事

専門学校へ転職する際は、
「前職で培った営業のノウハウを生かしたい」
「人の成長にかかわりたい」

的なことを言って、採用されました。対人折衝能力や、
プレゼン能力は、どちらかというと自信があったので、
そういった部分を生かして、仕事が出来れば、と考えて
いました。

その関係もあって、専門学校の9年間は、ずっと学生募集関連の部署
で仕事をさせてもらいました。

上長が異動したことや、その他もろもろの条件が重なり、
実質3年目からはリーダーの真似事的な役回りで、
仕事をさせてもらいました。

おかげで、履歴書に残すのには仰々しい肩書きなどなどを残すことが
出来ました。

当初、そうした立場に立ったときが、
正に専門学校全盛期(今から思えば)を迎えていたときで、
正直、「何をやっても、誰がやっても集まる」
時期であったと思います。

多くの利益追求型専門学校は、拡大路線を敷き、多地域・多業種への
専門職業人養成をはじめました。
(結果、専門学校内でのパイの食いあいにもつながりました。)

他方、高等学校にも、実績が求められる時代がはじまりつつあり、
分かりやすい実績として「大学」に何人入れたか、が問われるように
なりました。

レベルの高い大学はそれなりの実績を求められるのはもちろんのこと、
底辺校においても、「大学」への進学数がほしいあまり、
これまでなら専門学校に来ていた層が、大学へ行くようになって行ったのです。

そして、大学側も少子化対策として、資格の取れる学部・学科新設を
おこなうところが多くなり、その結果、資格取得が売りだった専門学校
に、暗雲が立ち込めてきた、と、私は感じました。

結果、脚光を浴びた即戦力を養成するという「専門学校」は、そのアドバンテージを
失いました。
シニアやダブルスクールなどに活路を見出そうとしましたが
成功したのは、もともとスクール的な運営をしていたグループぐらいで
残りは今も徐々に縮小傾向にあります。

専門学校グループの一部(いくつか)には、株式会社的な数字管理で募集活動を
行っているところもあります。私のところもそうでした。

その割には、この先、どのくらい昇給するのか、とか、ボーナスはいくら
もらえるのか、とか、あいまいでした。就業規則、というものを見たことが
ありませんでした。退職するまで退職金規定があることすら知りませんでした。

さまざまな官庁の監査も、綱渡りですり抜けていきました。

まぁそんなこんなで、集まらない環境が整ってきたわけですが、
目標数字は、環境には左右されず、昨対でどうだ、何パーセントアップできた、
と上昇志向の話を幹部はしてきます。

泣き言は言ってられない、とにかく集めないと、いかん、ということで
土日かまわず、オープンキャンパスをおこない、結構頑張りました。

長くなったので、また書きます。

拍手[4回]

(4):専門学校が盛り上がった時期

専門学校が盛り上がった時期
 2000年前後、専門学校は実践力があって就職に強い!と一時注目を集めました。大学で何もしないよりも、
専門学校で資格をとって新たなキャリアパスをすすむということが少し注目されたのです。
「専門士」資格に続いて「高度専門士」も設定され、いよいよ専門学校の時代か、と思われました。
 少なくとも、実学志向に目が向き始めたことには間違いありませんでした。

 ただそんな時代も長くは続きませんでした。18歳人口の大学志向は少しずつ高まっていき、実学志向の大学も
増えていきました。入学数上位40大学の寡占化は一段とすすみ始め、中小の大学にとっては厳しい時代がやって
きつつありました。もちろん、専門学校も例外ではありません。また、専門学校の場合、各校毎の競争が激しく、
自校の利益を追求するあまり、業界全体を考えた取り組みが少なかったことからも、対大学業界に対して打つ手が
少なくなっていたのではないかと思います。

 あと数年は乗り越えられたとしても2020年頃の18歳人口がもう一度減る時期に、専門学校と大学、どちらが
残っているだろうか、と客観的に考えてみたときに、大学のほうが競合優位性がある、と私は判断しました。
(それは、2008年のことです。)
 専門学校は、少ない人数の職員で運営していましたのである程度責任のある仕事を任されていました。やりがいもありましたが、毎週土日に行われるオープンキャンパス、徒労に終わる参加人数、そして将来性、いろいろ考えていくうちに、またもや転職熱が再燃してきたのでした。専門学校に勤め始めて9年目のことでした。当時は妻も子供もいましたので、前のように簡単に辞める訳にいかないのは分かっていました。でも、前職のときのように、嫌で辞めるのではなく、前向きに人生を考えたときに、こちらのほうがよいのではないか、という決断でした。

 そのとき、ちょうど目にしたのが大学のキャリア採用募集という新聞広告でした。


つづきは5で… 
http://uniad.blog.shinobi.jp/Entry/87

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(3): 教材販売を辞めて専門学校へ

専門学校に就職

 そんな矢先、とある専門学校に勤める友人から、「うちのグループで中途採用募集しているよ」と声をかけてもらいました。2年の実務経験で離職するということは、ほぼ第二新卒扱いです。

まぁでも、思っている考えをぶつけてみようと思って、「人の成長に関わっていきたい」といったことを熱く語りました。その結果、縁あって、二つ目の就職先が決まりました。

二つ目の就職先は、よくよく調べてみると、専門学校業界ではかなりやり手の学校グループでした。

ここは、数字目標を年単位で人数で出しており、○○人入学させるぞ、という意気込みが、ある意味前職に通じるものがありました。
ただ、前職は10日おきに締め日が来るので、いわば10日おきに上から締め上げられますが(笑)、
専門学校は入学時期が4月と決まっているので、入試シーズンまでにどれだけがんばるか、という長期的なスパン
で入学生を集めるというところが違うところになります。集まらなかったときも怒られるのは(前職に比べたら)
一瞬ということで、若干ではありますがぬるく感じました。それでも、NOVAと同じくらい名簿への電話フォローは
徹底していましたし、仕組みとしては同じようなところも多かったと思います。
 大きく違うのは、その生徒が目指す分野に導く、というか、夢を実現させるために入学してもらう(という気分になってもらう)
というところです。だから、卒業するとき、何らかの資格を持って、何年か後には「先生」と呼ばれる立場になっていたり、
独立していたりと、夢に近づく卒業生を何人も見てきました。これは前職では味わうことの出来ない喜びであり、
「会社」と違って「利益」至上でなくてもよい部分もあるのだな、と感じました。

つづきは4で:http://uniad.blog.shinobi.jp/Entry/86/

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(2) 最初の会社で感じた矛盾

教材販売会社で勤めて1年半、本部から社運をかけた商品が開発されたの
でひとり一台は売るように言われました。テレビ電話機器と、それを使ったサービスです。

 はっきりと覚えていませんが、本体単価が20万程度、自宅でも多言語の
レッスンが可能、と意気込んだ商品でした。この機器を使ったデモレッスンや、上司の顔を見ながらの営業報告などにも使われました。

 私は、この商品が 
 
 1)自社開発にこだわった商品であったこと 
 2)ISDN回線専用であったこと 
 3)顧客に対して相場から考えると高いと思ったこと

 などから、商品とサービスのどちらにも不信感を持っていました。
 デモレッスンを受けてもらっても、当時のISDN回線スピードでは、口の動きがカクカクに
しか動きません。
 「ね、滑らかに動くでしょ?」って営業スタッフがうらはらなフォローをしますが、
まだまだスペックが低かったように思います。加えて、ISDN回線をしのぐスピードで

 WEBのスピードが上がる中、クローズドなネットワークで商売するのには限界があると
思っていました。マネージャーなどにはその話もしましたが、「とにかく売れ」の一辺倒でした。
そのうち、モチベーションが下がり、退職を考えるようになって行きました。
営業も大切だけれども、もう少し生徒さんの立場で関われるようになりたい、
と思い始めたのです。


つづきは3で:

フラッシュバック1:http://uniad.blog.shinobi.jp/Entry/85/

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( 1): 新卒の就職活動→教材販売会社へ

就職活動→教材販売会社2年)

  新卒の際の就職先は、教材販売会社でした。
当時は、テレビCMもバンバンやっていて若年層の採用数も多く、 活気のあふれた会社に思えました。
(離職率とか全然見えてなかったので、30歳モデル賃金800万っていうのも高く感じました。実際にはそこに行きつく前に兵隊は息絶えるのですが…)


 今から考えると、採用面接の 集合時間から、面接開始まで2時間以上待ったり、囲い込みの ための飲み会も猿橋社長のスケジュールで3時間遅れたりと、 採用活動の時点から不審な点はありましたが、なにも知らぬ(調べてない) うぶな学生でしたので、「おっしゃ、ここでがんばろう」と 燃えておりました。

 最初の就職先がここでよかったなぁというポイントは、 「数字=お金」に対して、学生時代の甘い考え方から脱却することが できたことです。この会社は基本的に、ほとんどの新入社員がカウンター 営業からはじまります。  10日ほどで区切られた営業週との目標(店舗毎)を達成するために、  ひとりどれだけ数字を挙げるか、に命を懸けてカウンターの中で準備 しては営業活動を鬼のようにしていました。  社会貢献するためには、会社を存続しなくてはいけない、そのためには、 数字を挙げなくてはいけない。数字を挙げないと、満足なサービスが 出来なくなり、生徒(顧客)に迷惑がかかる、そうしないためにも、 新しい数字を挙げ続けなければならない。とモーレツ会社にありがちな 洗脳方法ですが、会社の仕組みとして最初に知っておいてよかったなぁと 思っています。

 はじめのうちは、いやいやながらも、楽しい時期もあり、それなりに満足して仕事をしていました。  たまに好調なときには表彰されたりして調子に乗ったりしたこともありました。

 でも、そのうちに、「辞めようかなぁ~」と思うようになってきたのです。
つづきは(2)で
http://uniad.blog.shinobi.jp/Entry/83/

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